先週の月曜日,夜の12時頃に帰るとまだ弟が起きていた.タバコを貰い,ビールを片手に会話を始めた.最初はいつものバカ話に笑っていただけだったのだが.


イスラム教とかもちゃんと勉強してみたいわ」


いきなり弟がそんなことを言い出すので僕は少し面食らった.僕は,教義そのものは極めて合理的だと言った.基本は商人の相互利益を守るためのルールブックなのだから.だが弟の疑問はそんなことではないらしかった.


「分からへんねん.何でイスラム過激派は喜んで爆弾抱えて死ねるんやろ」


それは集団の価値観でしかないよ.人間って自分が属している集団からの承認なしでは生きていけないほど社会的な生き物だからな.あいつらの中では神のために自らの命を捨てた人間は英雄だし,妻や子供の面倒も共同体が見てくれる.


「あいつらってほんまに喜んで死んでるんやろか.旧日本軍の神風特攻隊とかって無理矢理やったやん?まあ天皇陛下のために喜んで死んでったんもおったんか知らんけど」


沖縄の玉砕戦のエピソードを知ってるか.沖縄って植民地扱いで本州の「内地」に対して「外地」とか呼ばれててさ,でも沖縄の人らにはそんな国家に対して反発するよりも,何とかして自分らを認めて貰おうとする心理が働いたりしてたみたいなんだ.で,沖縄に米軍が上陸したときって非戦闘員にも玉砕命令が出だだろ.その時山に逃げ込んだ母親に向かって,息子の少年が言ったらしいんだ.『母さん,僕らは日本人だ.日本人なら,誇りと共に死のう』って.人間ってさ,そこまでしてでも自分の属する社会に認めて欲しいんだよ.


「そんなもんか.・・・自分って何やねんろ.それが分からん」


どういう意味だ?


「俺は女に二股掛けんのはあかんとか思うやん?けど俺がもしイスラム社会に生まれてたら・・・」


そんなことは思いもしないだろうな.アメリカの研究室で一緒だったアラブ人も,国には女が四人いるとか言ってたよ.


「うん.一夫多妻制の世の中に生まれてたら,俺が今抱いてるような価値観とは無縁っていうか,多分1人の女だけを愛するとか,そんなん理解できんみたいになるやん.そういう境目ってどこにあるわけ?人の価値観が,社会によって決定されてしまう境界ってどこ?」


それは人によるとしか言えんなあ.外の社会に振れたとき,柔軟に自分の価値観を相対化する人もいれば,外界のものは敵として拒絶してしまう人もいる.まあ,若いほど柔軟だとは言えるかも知れないけど.
僕はそう答えたが,弟が言いたいことも分かってきた.それは,僕が誰かと話してみたいがそれを理解できる相手がいない,と感じていた問題だった.他ならぬ弟が,そんな問題について考えていたとは夢にも思わなかった.


・・・続く