読破

構造主義のお勉強.ニーチェが「神の死」を唱えたのに対して,フーコーは「人間の死」を予言した.「人間」というのは人類一般のことではなく,近代以降の「人間観」のことである.それは「自由意志」を持った「責任主体」ということで,サルトルなんかが言う「人間は主体的に歴史に関わる存在」という意味.科学技術の発展で,人はいつしか自分の力で世界を支配する,すなわち神の位置に立つようになった.神(自然)に支配される人間⇒世界(自然)を支配する人間へと.しかしそのような「人間」観は,ここ200年以内に形成された単なる「流行」でしかなく,その流行の終焉が,すなわち「人間の死」というわけである.
そしてそのような流行は,個人を規定してしまう.「私は○○な人間だ」という言葉でさえも.そのような規定された自己から脱却し続けること,それもまた,フーコーの重要なテーマだった.それはドゥルーズデリダに受け継がれる.

「私に向かって,貴方は誰だと尋ねないで頂きたい」

ううむ.重い.


しかし英米系の科学哲学がヒュームの経験主義に依拠しているのに対して,フランス系の近・現代思想ニーチェハイデガーを避けて通れないようです.元々論理的な僕は,ニーチェが大嫌いだったのだけど,やっぱ読まなきゃいけないか.