その78 余裕について3

で,そもそもこのテーマを書く切欠となった元の記事を引用してみる.

良き夫になろうと思っている。

だから、できる限り家事をやるようにしている。

「主婦は24時間労働」って言うんだから、夫だって家に帰ってから家事をしなければならないんだと思っている。

だから家に帰ってからの自分だけの時間は無いけど、それもお互い様なんだよねって思っている。

でも正直疲れてきたよ。

以前君は「子供の面倒を一日見続けることがどんなに大変なのかわかんないんだよ。」って言うけど、それを言われた夫がどんなに辛い思いをするのか、君にはわからないんだろう。

時々君は「○○はいい夫だよね。」って言うけど、それを言葉通りに受け取ることが難しくなってきたように思う。

それを言われるたびに、僕は自分が「主婦のお手伝いさん」なんじゃないかと思ってしまう。

お金を届ける主婦のお手伝いさん。

子供が居ながらにして家に帰りたくなくて会社帰りにパチンコ屋に通う上司を鼻で笑っていた。

理由を聞いても、苦い笑みを浮かべるだけで何も答えてはくれなかった。

でも最近、その上司の苦い笑みの理由がわかってきたような気がするんだ。

家庭が大事な気持ちは本当なんだ

君のことも子供のことも本当に愛している。

でもなぜだか、自分のことがだんだん嫌いになっていくんだ。

それが堪らなく辛いんだ。


妻のほうは最初から余裕がない.「自分が今どんなに大変な思いをしているか」をアピールする人は,余裕のない人である.夫の方は妻のため,と頑張ってみたものの,だんだん余裕を無くしてしまったようだ.それは妻が繰り返す「いい夫」という言葉の魔力である.夫たる者はいい夫でなければならない,いい夫は家事や育児を手伝わなくてはならない,いい夫はちゃんと稼いで来なければならない・・・恐らく妻はそういうことを直接的に言ったわけではないだろう.だが「いい夫」という唯ひとことが,上記のような意味を持ってしまうのだ.そして言葉は,夫の無意識を規定し,制限してしまう.夫は,自分の意志で「いい夫」としての行動を選択したわけではない.「いい夫」によって規定された無意識の枠組みに従わされているだけである.とはいえ,妻が夫を従わせているのではない.夫は自分が「いい夫であるかどうか」を「自分で」監視している.それを遡れば結局は,夫は単に「いい夫という言葉」に従っているに過ぎないのである.
自分で自分を監視する状態に陥っている人間が,余裕を持つことは不可能だ.監視者が自分自身である以上,それは24時間途切れることがないからである.