読破

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

物凄くスリリングな一冊.西田幾多郎vsデカルト,西田vsウィトゲンシュタインなど,読んでて電撃が走るかと思った.禅の哲学とか場の思想とか言われるが,西田幾多郎が問い続けたのは「主格としての私」というものが何故成り立つのかということである.


「私」は本来「場所」である.「私は稲妻を見た」という事態は,「稲妻が見えた」と言い換えることができる.これを更に言い換えると,「私という『場所』において,『稲妻が見えたという経験』が在る」.このように考えると,私が経験した一切の経験は,私という場所にあることになる.そして,それらは全て同一の場所で起こったものであるから,それらの経験を総合した「私」というものが成立できるわけだ.


いやいやしかし,西田哲学はこんなものではない.本書において「西田は哲学において超弩級の化物」と評されている.その化物ぶりは,是非読んで感じ取って頂きたい.哲学初心者にはヲススメできないが.