読破

ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法 (シリーズ・哲学のエッセンス)

ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法 (シリーズ・哲学のエッセンス)

近年は何かと批判されることの多いヘーゲルだが,僕も嫌いである.がしかし,ドイツ・イデオロギー最後の哲学者として学んでおかないわけにはいかない.マルクスだって西田幾多郎だって,ヘーゲル抜きには語れないのだ.


ラッセルは「ヘーゲルは哲学的に重要なことは何一つ生み出さなかった」と言ったが,その通りだと思う.だがヘーゲルは,「弁証法」という後世に絶大な影響を与えた方法論を提示した.ある命題Aと,それに対立する否定命題Bがあった場合,やがてAとBの両方を包み込んだCという命題によって解決されるというわけである.大岡越前の「三方一両損」なんかが一例だろうか.
だが弁証法とは要するに,今の状態に何の疑いも持たずに安心していた自己が,あるとき否定されるに至り,その否定に対して困難辛苦を乗り越えて成長する・・・という何ともロマンチックな軌跡を描いたものだったのだ.これが個人の問題に留まるなら人生訓として役に立たないでもないだろうが,これを国家や歴史にまで適用して,全ては予定調和へと向かう・・・といったような潮流を生み出してしまったことはヘーゲルの最大の罪.


調和など,達成されてから後から振り返ってみて初めてそうと分かるのだ.「予定調和」などあり得ない.


補記.哲学者ヘーゲル,小説家ヘルダーリン,作曲家ベートーヴェンは,同い年.