他人を理解する.

人間関係には楽観論と悲観論の両方があって,楽観的な意見は「話せば必ず分かり合える」或いはそれを裏返して「分かり合えるまで話さなければいけない」といったもので,悲観的な意見は「違う人間同士が分かり合うなど理想論だ」といったものだ.しかし何故だか分からないが,人が「他人を理解する」と言うときは「その人について理解できないことがなくなる」というニュアンスがあるように思う.だが実際には,人を理解するというのはそういうことではない.僕としては,楽観論も悲観論も同程度に間違っていると思うのだ.


まず当たり前だが,他人のことを100%理解することはできない.理由は簡単で,僕の心という場所に投影された他人は,他人そのものではないからだ.同様に,他人がイメージする僕は,僕そのものではない.だから僕を100%理解してくれる人間もまた存在しない.だがそれでも,「あ,この人は僕のこと分かってくれてるなぁ」と思うことがある.それはどういうときか・・・


っていうところで,今回は終了しちゃう.またね.