他人を理解する.

いい加減に続編を書かねば.
こないだは「自分の頭の中で作られた他人のイメージと,他人そのものとは絶対に一致しないからお互いを完全に理解し合うことは最初から不可能」だといことを書いたのだった.最近発売のバガボンド25巻にも似たようなシーンがあったよね.


それでも,人が自分に向かって何かをしてくれたり,言ってくれたりしたときに「あ,この人は僕のことを分かってくれてる」と感じることはあるでしょう.これは自分のある一面に関して,大多数の人間が見過ごしていることを,その人は気付いてくれたという,それだけのことなのだ.冷たく見えて案外人には見えない優しさを持ってるとか,実は影で血の滲むような努力をしてるとか,そんなものだ.要するに,「分かってくれてる」と感じるのは,相手が自分の全てを理解しているからではなくて,自分について他の人が知らないことを知っている場合なのだ.他人への理解とは,そういう相対的なものなのである.だから誰かについて理解しようとするなら,他人が見過ごしているその人の一面を,一つでもいいから見つければいい.別に,難しく考えるほどのこともないのだ.


もっとも,恋人や夫婦なんかだと流石にそうはいかないのだが,それについては,また今度.