読破

「私」に関わる問題に限定してウィトゲンシュタインを読み込んだ著作である.ウィトゲンシュタインは「世界には『私』は存在しない」という.例えば僕が,「僕の世界」というタイトルで,僕が認識している世界の全てを記述した本を書いたとする.しかし,僕が認識している世界には僕はいない.僕の体や僕の性格については書き記すことはできるが,「世界を記述していること自体」は,その本の中に書き込むことはできない.それは自分の視野に僕の目が映らないことや,ブラウン管の映像には撮影している当のカメラ自体が映らないのと同じことだ.しかし「見ていること自体」の中に,間違いなく目の存在は「示されている」.つまり,僕の世界に僕は存在していないが,「僕の世界」があるということが,「僕」の存在を「示す」のだ.
松岡正剛の言葉を借りれば,カンバスの上には世界のどのような風景も描くことができるが,そこに当のカンバス自体を描くことはできない,ということだ.


何度も唸らされた一冊.役には立ちそーもないけどね(爆)