僕の境界線2

皮膚は全身の表面を覆っている.腕や手の皮膚を見ても,特に何の変化もない.皮膚は,安定した膜として内部と外部を区切っているように見える.
だが,ミクロの視点で皮膚を捉えると,その様相は劇的に異なる.角質の内側にある真皮には分裂組織があり,そこから絶えず新たな表皮細胞が生み出され,それはまた新たに分裂して生まれた細胞に押されるようにして体表面へと向かう.向かう途中で細胞は死に,コラーゲン等で形成された細胞の外殻とも言える角質だけが残る.そして,皮膚はこの状態で停止するわけではない.表皮の角質は,次々と剥がれているのだ.そして剥がれた分だけ,また真皮の分裂組織の細胞が分裂して新たな表皮細胞を生む.
そう,表皮は既に死んでいるのだ.死んだものが,生きている僕の境界線なのだろうか.仮にそれが僕の一部だとして,表皮から剥がれてしまった角質はもう僕ではないのだろうか.あるいは,今当に剥がれようとしている角質は?

剥がれた角質は,垢となる.ハウスダストの7割が,そこに住む人間から出た垢だ.そのハウスダストは,多くの虫のエサとなる.代表者はゴキブリだ.僕の身体から落ちた角質は,ゴキブリに食べられ,消化され,吸収されて,ゴキブリの身体の一部となる.
僕はゴキブリか.


ゴキブリに取り込まれた角質――タンパク質や多糖類や脂肪――は,しかし,3日と経たないうちに分解され,環境へ排出される.それを更にカビや最近が分解して取り込む.最終的には二酸化炭素と水とアンモニアになるが,それをどこかの植物が取り込んで,ブドウ糖アミノ酸を作る.

そういうことだ.僕の身体は様々な物質から出来ている.正確には,それらは僕という生命の中を通過するだけだ.でも,僕を通過する以前に,それらは地球上のあらゆる場所を巡り,あらゆる生命を通過してきたはずだ.そして僕を通り過ぎたあとも,それらはまた全ての場所へと流れていく.

僕の体の70%は水だという.この水分子のうちいくつかは,かつてハワイの海にあっただろうし,ナイルやアマゾンを流れただろうし,南極の氷だったかもしれない.魚の一部として海を泳いでいたものもあれば,タカの血液となって大空を飛んでいたかもしれない.

僕は世界だ.世界が,僕を流れているのだ.