最後の・・・

昨日は同期武藤のライブだった。ついにドラムも加入し、バンドとしてスタートを切る記念すべき舞台であった。まだ練習不足は否めなかったが、それでもやはり四人揃うと音圧も存在感も圧倒的に違う。最近ロック色が強くなってきたVoice in Blueだが、バックが爆音で音を鳴らしても、その音に埋もれることなくハッキリと聞こえる武藤の声は、対バンの他のボーカルとは比べ物にならない。


だが、こうやって毎月のように武藤の歌を聞くのもこれが最後だ。いや、最後になるのはライブだけじゃない。僕は彼女の歌を聞いていただけじゃなくて、客を呼んだりポスターやオーディション用の曲紹介のコピーを考えてみたり、裏の活動でも結構手伝ってみたりしていたのだ。
そういうことをやってると世界が変わった。電車の吊広告や街中に立ち並ぶ看板に溢れているキャッチコピーが、どういう狙いで考えられたものかとか、僕だったらもっとこういうコピーを作るのにとか、そういう視点から見えるようになった。特にバンドのPV製作を一手に引き受けたときは、動画編集の大変さが身に沁みて知る羽目になった。一晩中パソコンに向かって作業をしても、動画にして10秒程度しか進まないのだ。何時間も掛けて組み合わせたカットが、再生してみるとボツにするしかないような出来だったりしたときは本当に萎えた。結局PVを作った曲は4分あったのだが、完成するのに何百時間も掛かった。そして今では、テレビや映画で流れる映像を見るとき、掛かった手間や凝らされた工夫について想像しないことはない。特に映画の予告編なんて、二時間ある映画の中から一瞬に等しいるシーンを切り取って組み合わせるその巧さに唸ってしまう。要するに、目に入ってくる文字や映像が、目に見える表面だけじゃなくて、その裏に潜む人々の活動とセットで頭の中に入ってくるようになって、世界が二重三重の深みを持って立ち上がってくるようになったのだ。

そういう裏方のサポートも、今回を境に、ほとんどできなくなるだろう。


ライブの打ち上げでは、ベースのキョウスケと三人で話が弾んで、朝三時半まで盛り上がった。打ち上げ後、武藤はあからさまに寂しがった。実験室では失敗ばかりで世話の焼ける武藤だったが、お陰で実験室でも笑いには事欠かなかった。二年前に帰国して以来、武藤のお陰で過ごせた楽しく刺激的な日々が次々頭に浮かんでは消えた。


「心の友だね」


たまに、武藤は僕のことをそう呼んでくれる。胸が詰まった。


何度繰り返しても、仲間と別れる辛さには慣れることが出来ない。むしろ、年齢と共に堪え難くなっている気がする。研究のために、大切な仲間との日常を切り捨てるのは正しいことなのか。それでも、真実に向かって一歩ずつ進むあの感覚は、他の何事にも換えられないほどの究極の価値を、僕に与えてくれるのだろうか。旅立ちが近づき、全てが決まってしまってから、僕はいつも揺れる。


そう、僕は見た目ほど葛藤から自由な人間ではない。ただ、それでも前を向く方法を、僕は知らないわけではない。