権威と信用

いつか詳しく書こうと思ったまんますっかり忘れてしまっていたのだけど,ain_edがid:ain_ed:20071030を書いてくれたので思い出した.

そもそもの疑問はid:KEN_NAITO:20071003における,エジソンの「発明とは,1%の才能と,99%の努力だ」といった言葉が,「エジソン」という文脈抜きでは殆ど何の意味も成さないのではないか,という疑問からだ.

発話者が,多くの人にとってはどんなに説得力のある話をしても,反動的な人間には「ウソだ!」となることもあるし...しかし,発話者がどういう人間なら説得力があるのか,あるいはどういう場合に逆なのか.エジソンの言葉が持つ影響力が「権威」によるものなのだとしたら,僕の言葉が誰かの心に響くときは,僕自身は既に権威付けされているのか?いや,それが権威と言うより信用だというのなら,権威と信用との違いは何か?あるいは信用は,何かの切欠で権威になってしまうことがあるのか?

ain_edは,「権威(authority)」の語源であるラテン語の「auctoritas」と,「信用(credit)」の語源であるこれまたラテン語の「credo」を引き合いに出して解説してくれている.なるほど,権威の言葉を素直に受け取るかどうかは受け手次第だが,信用した相手の言葉が間違っていた場合には,話し手側の責任が追及されることになるかも知れない.

うーん,まだしんどくて一度に書けない.続きはまた今度,ということで.