研究の意義

シアトルに行ってる僕の嫁は、世界各国の医療機関で記録されているデータを一纏めにして、そこから心臓突然死に関する傾向を統計的に割り出そうとしている。で、嫁の近くにも嫁の研究を全く評価していないプロフェッサーがいて、「国によって記録の仕方も統一されてないのに、そんなノイズばかりの研究なんかしたって何の意味もない」とか正面から言ってきたりするらしい。まあ、そもそも嫁のボスとそのプロフェッサーが仲悪いらしいんだけど。

僕「でも、喩えデータが少々不安定でも、世界中の記録を纏めて解析したら何か出るんちゃうの」
嫁「うん。難しいのは確かやけどな」
僕「それに、仮にモデルの精密性に問題があったとしても、今回の研究を切欠にして、記録の取り方が改善される方向に進む可能性があるよね?」
嫁「うん。記録用紙の問題点を暴くのも一つやと思っているねん。国際基準のはずですが、こんなに各国で記録しているものはバラバラってな。」
僕「それこそ研究ってやつよな。応援してるで」

そうだよね。やっぱり、研究って、それをやることによって何かが変わるってもんじゃないといけないと思う。基礎とか応用とかいう話じゃなくて、その論文を読んだ人が新しい研究や行動を起こす切欠になるような。研究者なら、それくらい志そうぜ。