水曜日

嫁が実家に帰って行った。同居生活が2週間で崩壊したわけではないぞ。決して。嫁は明日講師職の面接、週末は神戸で国際シンポジウムのInvited speaker、そして翌週は心臓突然死の権威であるフィラデルフィアのエロジジイを京都で接待するのである。このエロジジイ、嫁のことが大層お気に入りらしい。嫁と一緒にママチャリに乗って京都の街を巡ることを死ぬほど楽しみにしているらしい(笑)。嫁曰く、
「きっと将来のけんくんもあんな感じに違いない」。失敬だぞコラ。

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…今日も山田先生の話の続きを。

「いい詩ですね」と、僕はしみじみ言った。「僕もそんな70歳になりたいと思いました」

「気に入ったかね」

「はい…凄く」

「では記念に、君にこれをあげよう」

そう言って山田先生は机の引き出しから小さな封筒を取り出し、僕に手渡した。何かのカードが入っているようだった。

「私がデザインしたテレホンカードだ。さっきの詩が書き込まれている」

中には本当にテレホンカードが入ってた。「え、こういうのって自分で作ることってできるんですか?凄いですねぇ」と言いながら、内心ではさすがに微妙な気持ちだった。別にテレカじゃなくても良かったんじゃないか。もちろん、あとで捨てたし、そのことについては後悔もしていない。

「ではそろそろ帰るとしよう。君は駅までかね?」

「はい」

「では私と一緒にハイヤー乗って行くといい」

「えっ、いいんですか?」

構わない、と言いながら山田先生は席を立った。エレベーターで1階まで降りる。ドアが開いて山田先生が一歩踏み出すと、事務室からスーツ姿の男性が一斉に走り出てきて、一列に並んだ。そしてやはり一斉に、

「お疲れ様でした!」

と礼をした。この人はヤクザのドンかと思うほど、迫力のある光景だった。学長ってこんなに偉いのかと思った。自分がこれをして欲しいとは思わないけれど。

玄関を出るとハイヤーが止まっていて、運転手がやはり礼をして待っていた。車に乗り込み、しばらくすると駅に着いた。じゃあ先生今日はどうもありがとうございました。わざわざ駅にまで寄って頂いて、と言おうとしたら、山田先生も車を降りている。「えっ? あれ、先生も電車ですか?」 

「私も近鉄だ」

これにはちょっと吹き出してしまった。当然ハイヤーが家まで送っていくものとばかり思っていた。さっきスーツ姿の男たちが一斉に礼をしていた人物が、僕と一緒に近鉄電車に乗るなんて、何だか急に親近感が湧いてしまった。

僕と山田先生は座席に並んで座り、何という事もない話をしながら、近鉄普通列車に揺られていた。電車が京都市内の高架に差し掛かると、美しい夕焼けと、真っ赤な夕日が窓からよく見えた。あまりに綺麗だったのでしばらく見入っていると、

「綺麗な夕日だな」

と山田先生が言った。

「今日、この電車から君と夕日を見たことを、私は忘れないでいよう」

そう言ってもらえたことは嬉しかった。何だか認めてもらえたような気がしたから。でも、その言葉を信じる気にもならなかった。功成り名を遂げた70歳の爺さんが、まだ卒業研究さえ終わっていない1人の学部生のことをいつまでも憶えていられるとは思えなかったからだ。その代わりに、と僕は思った。

その代わりに、僕が一生この日のことを憶えていよう。この日、山田康之という人と、近鉄電車の車窓から眺めた、京都の街に沈む夕日のことを。山田康之という人が僕にどんな風に、どんな話をしてくれたのかを。その日から48年後に、僕自身が70歳の老人になったときには、僕が1人の若者に向かって曹操が詠んだ詩の話をしようと思った日のことを。

あれから12年が過ぎ、山田先生はまだご存命なのだろうかと思っていた矢先に、文化勲章受章のニュースを知ったのだった。

山田先生、おめでとうございます。山田先生は今年で82歳になられたと思いますが、今でも飽きることなく見ておられるのでしょうか。千里の夢を。

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おしまい