火曜日

論文のリバイズを再投稿してやったり!今回のリバイズのお陰で、オルガネラ、特にミトコンドリアゲノムの今後の使い道を閃いたのは大きな収穫だったな。ついこないだまでは「ただデータがあったからやってみただけ」だったのが、将来的なビジョンが開ける仕事に変貌したし。まあ大したことではないけれど。でも実際に今後の楽しみが一つ増えたんだから嬉しいわマジで。

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…昨日の続きである。

最初、山田先生は生い立ちを話してくれた。子供時代に両親に他界されたこと、兄が働いて稼いだお金で大学に入れてくれたこと、博士号を取得してからフルブライト奨学生としてアメリカに渡り、白人の奥さんと結婚し、日本に戻ってから新しい研究室を立ち上げたこと、などなど。絵に描いたようなサクセスストーリーだった。まだ22歳だった僕にとっては、憧れるしかなかったような話だ。ちなみに、当時は山田先生が自伝を書き終えて間もない頃だったらしく、僕にも一部渡してくれた。中身は聞いた話と全く同じだったので、すぐに捨ててしまったのだが、勿体ないことをしてしまったかも知れない。

 自伝の話が落ち着いたところで、

「ところで君」

と山田先生は言った。

「私は三国志曹操が好きでね」

「あ、僕も大好きです、曹操。思い切った決断をしてチャンスをものにするところとか、メチャクチャ格好いいですよね」と言うと、山田先生は顔を綻ばせながら

「ほう、そうかね。曹操は詩人でもあったことは知ってるかね?」

「はい、知っています。どんな詩を詠んだかまで知らないんですけど」

「その曹操が詠んだ詩の中でも、私がいつも心に留めているものがあってね」

「へえ、どんな詩ですか?」

という僕の言葉を待たずに、山田先生は既に紙にペンを走らせている。

老驥伏櫪 (ろうきは れきにふすも)
志在千里 (こころざしは せんりにあり)
烈士暮年 (れっしは ぼねん)
壮心不已 (そうしん やまず)」

「“驥”というのは名馬のことだ。年老いた名馬は、厩の中で横になっていても、千里を駆けることを夢見ている。それと同じように、志を抱いた者は、晩年になってもその大望を成す心を抑えられない、という意味でね。晩年の曹操が、自分はまだ中国統一を諦めたわけではないぞという気持ちを詠んだものだ。」

そこまで言ってから、山田先生は一旦言葉を切り、ニヤリと笑って、再び続けた。

「私は今年で70になるが、まだ千里の道を駆けるつもりでいる」

何てことを言うジジイなんだ、と思った。メチャクチャかっこいいじゃないか!

・・・終わらなかった。明日へ続く。