朝鮮半島でも日本や他の世界と同様,石器時代⇒土器の時代を経て,村落が寄り集まって国家っぽいものが形成されつつある頃に,中国による支配・影響を受けて中央集権国家が生まれてくる.そんな中で台頭したのが高句麗百済新羅の三国.この三国時代は大体3〜7世紀半ばくらいのハナシ.
国家形成の道のりは高句麗がイチバン早くて,それゆえに強力.そんな高句麗に対して
百済は,倭および伽耶諸国*1のいくつかと軍事同盟を結んで真っ向から対決.また新羅高句麗に従属するカタチをとり,百済や倭に人質を送る外交政策で生き残りを図る.
でもやっぱり強かったのは高句麗で,4世紀終わりから5世紀初めの「広開土王」の時代には朝鮮半島を殆ど支配化に置いた.で,このシトの功績を残した石碑が「広開土王碑」.うおー!広開土王碑って殆ど記憶の彼方に消え去りかけてたけど,高句麗のモンだったっけか.しかも一個だけじゃなくて朝鮮各地にあるそうで.イテテ.
それにしても,この時代の日本は大和王権から飛鳥時代にあたる気がするんだけど,日本の都っていつの間に飛鳥京になってたの?しかもこの頃って完全な統一国家ではないような.と言って領土争いを繰り広げてたワケでもなし.イッタイ天皇中心の支配はどんなカタチで,ドコまで及んでたのやら.誰か知りません?

*1:半島の南端地域に多数あった小国家の総称