今日は高麗の始まりを.開城(今のソウルらへん?)の豪族の子として生まれた王建(ワンギョン)は,新羅に反乱して後高句麗(泰封)を興した弓裔(クンイエ)の武将として頭角を現すが,弓裔の暴虐ぶりに見切りをつけ,918年に自らクーデターを起こして国を奪い,国号を高麗とする.彼は935年に衰退著しい新羅を帰属させ,翌年に内輪もめで弱体化した後百済を攻め滅ぼし,建国後18年で朝鮮を統一した.太祖王建は北方への領土拡大を図りつつ,内部の地方豪族・人民に対する支配体制を整備したが,943年に没する.太祖は豪族相手に通婚政策をとったコトもあって29人の后を持ち,子も多かった.それゆえに王族および外戚豪族達の権力争いは激しく,二代目恵宗は在位2年で没し,その後内乱を経て王位に就いた三代目定宗も在位4年で死ぬ.内部に不安を抱え,国境を接する契丹の脅威にも曝されていた高麗は,建国以来中国各王朝に入朝して冊封(中国皇帝の実質の支配力が及ばない地域の支配権を認めて貰うこと.コレにより中国は勢力外の地域をも名目上は支配下に置くカタチを取れるし,王は何かあったときに援軍を要請できる)を受けるが,それは明の時代まで続くのであった.…続く