vol.8

予備校時代の仲間内では,何度も彼女について話し合う機会があった.ワタクシの意見は,葬式の晩に自分達が彼女を自然に受け容れるということをしなかったこと,それによって彼女の自分たちへの信用を失ったこと,そして今後彼女のことを気に掛けるならば,それぞれが個人的に彼女とコンタクトを取って「死んだ友人のことを話す」べきだ,というものだった.
対するほかの友人達の意見は,ワタクシにとってもどかしいものだった.
(葬式の晩彼女に何の言葉もかけなかったことについて)でも,カレシを亡くした相手に対して,どんな言葉を掛けていいのか分からない,という自分らの気持ちだって分かって欲しくない?と,いったような――.
結局,仲間の多くは彼女を「腫れ物のように扱う」ことをやめようとはしなかった.そしてそんな彼らは,ワタクシをこう評するのだった.


強いよね,ケンは――.でもそのお陰でまだ自分たちは彼女と繋がっていられる….

そんな彼らに一抹の軽蔑を覚えた.同時に,自分が彼らに高く評価されているという,満足感を否定することができなかった.結局,ワタクシも自尊心の強い人間の御多分にもれず,他人に尊敬されたい,必要とされたい,という願望の支配を逃れることができなかったのだ.

そして,もう一つ.極端に他人を恐れて少年時代を送っていたワタクシには,高校以前からの付き合いが続いている友人はいない.予備校時代の友人達は,初めて共に何かを共有した仲間であったのだ.彼女が,ワタクシにとって思い入れの強い,そのコミュニティから抜けてしまうことを,ワタクシは承認できなかったのだ.

これら二つの願望が重なって,ワタクシはいつの間にか,自分で勝手な使命感を背負うようになってしまったのだ.「彼女をこの場に連れ戻すことができるのは自分だけだ」と.そしてそうすることによってワタクシは,自分が仲間から更なる尊敬を得ることを,仲間たちに必要としてもらえることを,期待していなかったと言い切ることができるだろうか――


結局ワタクシは,自尊心に負けていたのだ.


他人の気持ちより自分の自尊心を優先して行動する人間が,どうして信用してもらえるというのだろうか.新潟での出来事においては,それは直接的な原因ではなかったかもしれない.だが,もし自分がもっと彼女の立場に立って考えることをもっと徹底していれば,ほぼ間違いなく,そのような事態を防ぐことはできたはずだったのだ.


ワタクシはもはや,なす術もなくうなだれるしかなかった.

…続く