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翌朝,大学に来て早速茨城での指導してもらった研究員の方にメールを送った.返事はすぐに来た.


「やっぱりね.こちらでの研究をそちらでやるのは難しいだろうなと思ってました.こちらへ来るのはいつでもいいですよ」


ありがたかった.これで条件は全て揃った.そして教官の部屋へ行く.


「先生,やっぱりアメリカに行きます」
「そうか.それは研究室としては助かるな」
「でもその前に,茨城でやってた実験を仕上げさせてください.三ヶ月で何とかするんで,それまではまた茨城に居たいんですけど」
「分かった.なるべく早く戻って来るように」
「九月には帰ります」


これでいい.おまけに,研究室がワタクシに頼んでアメリカに行ってもらう,という形を作ることもできた.研究室にはワタクシのアメリカでの滞在費を出す財政的余裕もないので,ワタクシに対して強く言うことはできない.自費で行かなければならないのは痛いが,その分好きにやっていいわけだ.


あとは,結果を残せるかどうかだ――


皮肉なもんだと思った.研究のキャリアを追い求めたせいで拠り所の崩壊を防げなかったのに,結局自分を支えているのは,研究だった.
とはいえ,自分が今まで通してきた人間関係のあり方は,修正した方が望ましいと思った.親友だった彼女を失って,結局心の内を相談できる相手がいなくなったというのはやはり痛い.今までは「本当に信用できる人間なら一人いるし,一人いれば十分だ」と思っていたのだが,信頼関係も死ぬまで続くとは限らないことを思い知った.相手が一人だけでは,リスクが大きすぎるのだ.


リスクの分散――


あまりに無機的な言葉なので,もう少しましな表現はないかと思ったが,そんなことは重要ではない.単純なことだが,信用できる人間関係はできるだけ多くの人と築いておいた方が楽に,しかも楽しく生きられそうだ,と考えたのだ.