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しかし,多くの人と信頼関係を築くなんてことが,可能なんだろうか.他人の尊敬を勝ち取る手段なら,ある程度心得ていた.努力を重ね,成果を上げていれば他人の評価を得ることは比較的容易い.また,弟から盗んだ社交性とトーク術で,常に存在感を発揮することもできるようにはなっていた.要するに,どこにいても目立つ人間だったのだが,今は他人に尊敬されることの代償を噛み締めなければならなかった.
他人の尊敬を得ようとすることは,平たく言えば自分を他人より上位に置こうとすることだ.自分は優れた人間なんだと他人に示し,そしてそれを他人に認めさせることは確かに気分が良かった.だがそれは,基本的に周りの人間を見下すということだ.自分が見下している人間を,信用するのは難しい.彼らから信用されることはあったとしても,いざ自分が困ったときに助けを請えない.そしてそのような関係は,自尊心を満足させるに過ぎない.それでは虚しいし,結局一人で生きているのと変わらない.


だがそもそも,ワタクシはどうして自分のことを何か特別な人間だと思っていたのだろうか.頭がいい,決断力がある,面白い人,努力家… そんな風に他人から評されることはよくあった.言われて嬉しくないわけはなかったが,それらが自分をして特別だと思わせたわけではない.自分の中のどんな特徴を取り出しても,自分より優れた能力を持つ人間はいくらでもいたからだ.にも拘らず,ワタクシが他人を見下してきた理由は何なのだろうか.


オレは苦労を知ってる.他の連中なんて何も知らない――


そうだった.そう思っていた.15で父親を亡くし,21の時に親しかった友人が事故で命を落とした.他にも,何故か身近に死を見る機会が多かった.そういう経験を通して,たしかにそれまで見えていなかったものが見えるようになった.それは確かに,他人には簡単に理解できるものではなかった.自分はそういう苦労を乗越えてきたんだという自負もあった.だが――


自分は自ら望んで父を亡くしたわけじゃなかった.自分の意志で,友人の命を差し出したわけじゃなかった.要するに,それらの出来事は自分が持って生まれた資質でも何でもない.偶然に自分の身に降りかかってきたに過ぎないのだ.確かにそれらの死を通して,自分が得たものは大きい.しかし,父親の命と自分の成長,どちらかを選ばせられたなら,迷わず父親の命を取る.要するに,自分は偶然の出来事を誇ってきたに過ぎなかったのだ.選択の余地も何もなく,強制的に奪われてしまったので,仕方なくそこから得られるものを拾い集めただけだ.そんなものは称賛の対象としては不適当に思われた.もし同じ境遇に置かれれば,ワタクシより多くのものを得ることの出来る人間も沢山いることだろう.


自分は特別じゃない.何者でもない――


ならば,敢えて自分が他人より優れていようとする必要もない.他人とは,もっと楽に付き合えばいいということか.たったそれだけのことを知るのに,26年もの時間を必要とした.益々自分が特別でない証だった.


…続く