5 法家:韓非子

儒家達は戦国の世において,昔の中国社会には当たり前のように存在していた道徳が,人の心から失われていくことを嘆き,またその道徳心を取り戻すことで社会の秩序を回復しようとした.が,この時代に国家の大臣や王として活躍した儒家はいないんだよね.孔子も色々仕官を求めて全国を回ってみたものの,結局誰も雇ってくれなかったの.

法家思想は,そんな儒学を否定するトコロから始まった.韓非子は言う.

儒家の言ってるみたいな道徳による政治なんて,人口が少なくて生活が楽だった古代でこそ効果をあげたものの,今みたいに人口が増加して生存競争の激しくなった時代には通用しないんだヨと.昔の人間に道徳心が強かったのは,財が豊かだったから.今の人間が財を争うのは道徳心が下がったんじゃなくて,財が乏しくなった結果なんだヨと.こんな激しい時代に道徳なんてものは無効で,「法」によって治めるしかナイ!と.にもかかわらず,儒家のように古代の聖王の時代に有効だったという理由で,いつまでも道徳政治に執着するのは時代の変化を知らないというもの.

「切り株を守る」ってコトバ,聞いたコトあるよネ?その昔,ある男が田んぼを耕していたら,その田んぼの中にあった切り株に,兎が走ってきて激突した.兎はそれで死んでしまい,男は何の苦労もなく兎を手に入れた.しかし彼はその後田んぼを耕すのをやめてしまい,ずっと切り株を見守って,いつまでも次の兎がぶつかってくるのを待っていた.モチロン二度と兎を手に入れることなどできず,国中の笑いモノになってしまった…そんなハナシ.

韓非子はこの説話を引用して,コンナコトを言うの.

聖人は,昔行われたコトは繰り返さナイ.昔からの習慣にも従わナイ.現在の世の実情を論じ,考え,そして対策を打つ.昔の王たちが行った政治手法によって現代の人民を治めようと願うなんてのは,「切り株を守る」のハナシと同類だぜベイベー,とかネ.


こんなミもフタもナイことも言う.

ヒトの持つ道徳性は,寿命の長短と同じく先天的に決定されたモノで,人為的に変えられるよーなモンじゃナイんだヨと.
聖人の伝記を読んで,自分もこうなりタイと思っても意味ナイ! ソレは美人を眺めて,いくらその美しさに感動してみたところで,自分の顔はイッコー良くナラナイのと同じなんだヨと.ソレよりも家に帰って化粧でもすりゃ,少しは見れるよーになるでしょ.その化粧にあたるのがつまり,「法」なの.「法」は人間に悪事をさせないようにするもの,つまり,人工的な善人を作るモノだと.


人間の道徳心なんか信用するな,人は道徳よりも利益で動く,信賞必罰を徹底すれば,乱れた秩序は回復し,国は富み,兵は強くなる…そんな思想が「法家思想」.


面白いハナシがまだまだイッパイあるので,この法家思想のハナシは明日も続けましま.