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そしていよいよ本番がやってきた.相変わらず心臓が飛び出そうなほど緊張して,手足も震えているのが分かる.だが,それもいつものことだ.原稿もスライドを変えるタイミングも,発表中の身振り手振りも,練習通りにやればいい.前の発表者が差し出したマイクを断って,大講義室全体に響くように,声を張り上げた.


「じゃあ始めます!」


プレゼンは上手くいった.質問にもスラスラと答えられた.会場から外へ出ると,予め宣伝しておいた知人達が声を掛けて来た.


「やるなあ」
「カッコ良かったですよ!!」
「すっごい分かり易かったです」


少なくともこれで,と思った.


これで,研究に対する自信は取り戻せたな――


ワタクシが早速,発表で使っていた指し棒が実はラジオのアンテナであることを暴露すると,全員が笑った.岡山大の,一つ下の学年にいるOが,

「マジかっこよかったッス!」

を連発していたので「じゃあお前にやるよ」と,アンテナを渡すと,素で感激していた.翌日,彼が自分の発表でそのアンテナを実際に使っていて,笑いを堪えるのに苦労した.


まあとにかくそうやってまた新しい人間関係ができていったのだったが,その中に梁(仮名)がいた.彼と会うのはこれが初めてではなかったが,仲良くなったのはこの時だ.彼はワタクシと同学年で,ワタクシ同様に博士課程に進み,一度は海外で修行を積もうと考えている.要するに本気で研究で生きていこうとしているわけだ.対等の立場で研究の話をするにはうってつけの相手だった.

また,彼のいる大学が,ワタクシの地元滋賀にあるのも良かった.自分の大学にあるDNAシーケンサーは故障や予約一杯で,なかなか使えないことが多い.それで,よく彼に頼んで彼の所の設備を使わせてもらったんだが,その度にまた実験や最近読んだ論文の話をして,刺激し合うことができた.今でも時々「最近の実験に関する日記見ました.刺激になります」というメールを送ってくれる.そう言われるだけでも,「俺だって負けてられるかい」と,自分にとっても刺激になる.良きライバルを得た,そんな学会になったのだった.


そしてこの学会以降,自分は再び実家に住み,毎日車で京都へ通う生活に戻った.だが,三ヶ月前とは違った.空っぽの犬小屋も,親父や死んだ友人の写真も変わらずそこにあったが,自分が変わっていたのだ.


…続く