7 道家思想:老子

老子は,孔子と同時代のヒト.実在したかどーかはアヤシかったりするんだけど,ソレでも「老子」とゆー名の著作はホンモノ.でもって,世界で最も多くの言語に翻訳されているのはキリスト教の「聖書」だけど,それに次いで二番目は何と「老子」.いやー,そんな事実,今日知りました(爆).ビックリ.


ではカレの思想を辿ってみますか.

 
老子儒家墨家も両方批判した.儒家の「礼」も墨家の「兼愛」も自然じゃナイ,頭の中で作り上げたモンだってワケ.ドッチも人間の感情を型にはめようとしてる点において変わりはナイのね.だからホットけ,無理しちゃイカン,あるがままでイイんだヨ,と.
「道徳なんてモンを強制しさえしなければ,心を偽る必要もなく,人民は自然の情愛に立ち返る」と.荀子や法家はヒトの欲望を肯定したが,老子はその真逆を行く.
「世俗にまみれた欲求なんて捨ててしまえば,争いも何も起こらないでしょ.もっと大きなスケールで考えようヨ.宇宙は広い.この広い宇宙において,死ぬまでにどれだけ稼いだか,出世したかなんてことに,ドレホド意味があるとゆーのかね?」とまー,そんなカンジなワケです.


ヒトは皆な「美」を知るが,そうして「醜」が生まれる.ヒトは皆な「善」を為そうとするが,それによって「悪」が生まれる.
「有」と「無」は互いに生み出し合い,互いから生まれ合う.「難」と「易」は補い合い.「長」と「短」は互いの位置を占める.ことばは音と調和し,前と後ろは互いの順序を持つ.
だから賢い者は,何も為さない.教えを授ける時も,何も話さない.止まることなく万物を作り出すが,それを所有しようとはしない.何事かを為すとも評価は期待しない.功を遂げても,そこに留まることはない.要するに,唯どこにもいない.だから去ることもない.


いやー,矛盾ダラケだし飛躍しまくりでトラエドコロナシってカンジなんだけれど,何か良くナイ?最後の方は「無の境地」ってカンジです.この「無」の思想が仏教に取り込まれて「禅」に発展していくんだけど,ソレについてはまたソノウチ.


明日は「道家思想:荘子」ってコトで,またよろぽこ.