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また,アメリカへ行くことにしたことには,思わぬおまけが付いてきた.大学時代の友人達とは,学部を卒業してから殆ど連絡が途絶えていたのだが,そのうち関西に残っている友人達が集まって送別会を開いてくれた.三年経って,みんな変わっていたりいなかったり.とにかくそれを切欠にして,メールや電話の遣り取りが復活した.

そうやって人間関係を再構築している時,ふと気付いたことがあった.確かに自分は修士課程を国の研究機関で過ごし,それが終わればすぐアメリカと,エリートに見られてもおかしくない道を歩んでいる.実際「凄いね」とか,冗談で「今のうちに恩売っておいたら将来オイシイ思いさせてもらえるかも」と言われることは多い.大学時代の友人達と再会できたのも,アメリカ行きが決まったからだ.だが…


彼らが自分と付き合っているのは,それが理由ってわけじゃない――


そこに,「尊敬される人間でなく,信用される人間になるへ」の道が見えた気がした.確かに,自分の中で研究は重要な位置を占めている.だが,全てではない.仮に研究が上手くいかなくても,新旧の仲間や友人達と出かけたり,飲んで喋って楽しい時間を過ごすことは可能なのだ.


ある日,博士課程にいる友人とこんな議論をした.彼は実験が思うように進まず,そのプレッシャーに少し潰されかけていた.実際博士課程にいる学生は,研究が上手く行かなければ卒業できないし,卒業できたところで就職先も保証されておらず,それらの不安とプレッシャーから心を病んでしまう人が少なくない.病気とまではいかなくても,ストレスが溜まっている人は本当に多い.でも,とワタクシは言った.


「あのさ,仮に実験が上手くいかなくて卒業が遅れたって,それで人生が台無しになったりするようなことはないやろ?世の中には博士課程を三年で終われへん人なんてイッパイおるやん.イッパイおるってことは,自分だってその一人に入る可能性,いくらでもあるやんか.それともお前は,『自分はいつも研究がウマくいってる優秀な人間やないとアカン』とか思ってるワケ?」
「いや,そんなつもりもないけどさ….でも,例えば仮説を立てて実験系を組み立てて実験やってたのに,最初の仮説が間違ってたら一年とか二年とか,全部無駄になっちゃうんだよ?そういうのって耐えられなくない?」
「あー,でもソレが研究なんちゃうの.ってゆーか,オレとお前の違いが分かった.オレって休日は絶対友達と遊びに行って美味いモン食ったりとか,合コンして新しい友達作ったりとか,してるのね.よーするに,実験以外のところでも楽しい思い出をイッパイ作ろうとしてるワケ.だから実験失敗して一年を棒に振ったって,その一年が無駄やったとは思わへんワケよ.実験は失敗したけど,本を読んで身に付いた知識もあるし,新しい友達もイッパイできたし,仲間と楽しい時間も過ごせたし,みたいなね」


そう言いながら,そういうことだったのかと思い出した言葉があった.バートランド=ラッセルの「幸福論」だ.

多くの事物に興味を持てば持つほど、より多くの幸福の機会をもつことができる。そしてそれだけ運命の慈悲にすがらなくてすむ。なぜなら、好奇心が強く多くの興味の対象を持っている人間は、一つの事物を失っても、別の事物に目を移すことができるからである。
あらゆる事物に対し興味を持つには人生は短すぎるが、毎日の生活を満たすに足るほどの多くの興味を持つことは幸福なことである。


ラッセルの人生哲学に惹き付けられたのは,これが始まりだった.


…続く