ラッセル:ねたみ

人間の幸福に必須の要素は単純であり,単純すぎて,知的に洗練された人びとは自分たちに真に欠けているものは何であるか認める気になれない.


これまたキョーレツな皮肉だなー.

昔は、人びとは隣人のみをねたんだ。なぜなら、隣人以外の人々のことは、ほとんど知らなかったからである。現在の人々は、教育とマスコミを通して、直接には誰一人として知らない幅広い階級の人たちのことについても、多くのことを(抽象的には)知っている。映画を通して金持ちがどんな暮らしをしているか知っていると思っており、マスコミを通して他国民(民族)の邪悪さについて多くのことを知っており、また宣伝を通して自分と違う肌の色をした全ての民族の非道な行いについても知っているつもりになっている。黄色人種は白人を憎み、白人は黒人を憎む、といった具合である。こういった憎しみはすべて宣伝によってかき立てられるとあなたは言うかもしれないが、これはいささか浅薄な説明である。宣伝が、友好的な感情をかき立てようとするときよりも、憎しみをかき立てるときのほうがずっと効果的なのはなぜか。その理由は、現代文明が作りあげた人間の心情は、友情よりも憎しみに傾きやすいからである。それは人々が満たされていないからであり、また――たぶん無意識的にさえも――どういうわけか人生の意味を見失ってしまい、また人間が享受すべく自然が差し出しているもろもろの良き物を、自分たちでなく他の人びとが確保してしまった、と心の奥底で感じているからである。現代人の生活の中にある幸福の合計は、疑いもなく原始的な社会に見いだされたものよりも大きい。しかし、こうもありえるのではないかという意識が、さらに大きくなってしまったのである。


第二次世界大戦の頃に書かれたコトバだけど…決して古びてはいないなあ…