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結局それからも親父の闘病生活は6年続いて、ワタクシが中学を卒業してすぐの三月末にこの世の存在でなくなった。頭が良かった。病床での時間が長かった分、読書によって蓄えられた知識も半端じゃなかった。そして最後まで諦めない性格だった。
高3のとき、親父みたいな人間になろうと思った。それは頭がよく、冷静で客観的で論理的で、そして責任感が強い人間になりたかったという意味だ。でも今は――


そんなの、どっちだっていい。


アメリカに出てくる前、親父と親しかったSさんに食事をご馳走になった。そのときに、Sさんが大笑いしながら言ってくれた一言は、自分にとって最高のほめ言葉だった。


「内藤君もなかなかユーモアのセンスを持ってたけど、健くんはそれ以上や」


親父から自由になったのはいつからだったろうか。親父は戦争が終わる一年前の貧しい家に生まれ、しかも48年の人生のうち20年を病床で過ごさなければならなかった。それに対して自分は五体満足で、色んなところに自分で足を運ぶことが出来る。それはつまり、知識の量は敵わなくとも、経験なら自分の方が沢山積むことができるというコトだ。そんな自分が、全く違う条件の下で育った親父みたいになろうとするのはナンセンスだと思うようになったのだ。


頭は敵わない。でもヒトリの人間としての魅力なら…


ワタクシだって、負けちゃいないだろう――


日が、傾きかけてきた。


…続く