響け言葉,ヒトの心に...

以下に告別式の挨拶の全文を載せておきたい.

皆さん,今日は祖母のためにわざわざ足を運んでいただきまして,ホンマにありがとうございます.形式的な挨拶も結構なんですが,今日は皆さんに祖母の人生というか,生き様というか,そういうのも少しでも知って頂きたいと思いまして,告別式の挨拶としては変わった話し方になりますけど,すこしカンベンしてやって下さい.


ウチの婆様がウチのジイ様と結婚したときは,ジイ様は二回目の結婚で連れ子までいるしということで,婆様の両親は凄い反対をしたらしいんですね.僕はその事実だけを聞いてたんで,何でわざわざそんなことまでしてコッチに嫁いできたんかなーと思ってたんですけど,実はもう婆様が爺様に一目惚れをしてしもて,もう好きで好きでたまらんいうことで,親の反対を押し切って結婚したらしいんですわ.


ちくしょー,やるなジジイと(一同笑)


それで,神戸の方で結婚してやがて子供も生まれてと最初はいい感じで始まった結婚生活なんですけど,ある時爺様が盲腸を悪くして手術を受けたことがあったらしいんです.で,当時爺様と婆様の家族は神戸にいてたんですが,その爺様の手術をしてる最中に,アメリカ軍が神戸を空襲し始めたらしいんですね.そしたら病院の人間は医者も含めてみんな防空壕に非難してもうて,でウチの爺様はオナカを開いた状態のままで,手術台の上に放っておかれたと.で非難しようにも爺様を動かしたら死んでまうし,爆弾が落ちてきたらもう一貫の終わりやしと,もうそんな絶望的な状態の中で,婆様は手術室の横で,幼い子供を抱えて泣くしかできんかった,というハナシを聞きました.


空襲が終わってから手術は再開されて,爺様は何とか一命を取り留めることはできたんですけど,頑丈さが取柄やったウチの爺様だったんですが,結局そのときに体力が一気に衰えてしまって,その後間もなく結核を患って,療養所に送られることになってしまいました.


それから息子,まあつまり僕の親父なんですが,その息子はというと幼い時に,やっぱり結核菌に侵されてカリエスっていう病気になってしもて,少年時代の殆どを入院して過ごさんならんような状態になって・・・
要するに家族に病人を二人も抱えて,そんな中で婆様は自分ではロクに食わんと,子供らを食べさせてと,もうホンマに苦労に苦労を重ねて,何とか生きてたと,いうのが正直なところだったらしいです.


でも息子の勝之が小学校を終える頃にはやっと病気も克服して,しかもその後ウチの親父ってのはもう抜群に頭の良さを見せて,京都大学にも圧倒的にトップの成績で合格して卒業してと,いうことになって,ようやくウチの婆様の苦労も報われたかの様に見えました.


でも働き始めてすぐに,親父は白血病に倒れてしまいまして,今からもう13年前になりますけど,結局親より先に死ぬと,いうことになってしまったわけです.


何ていうんですか,僕は祖母のそういう人生を振り返ってみると,何だか生きるってことが失い続けるってことのように思えてきて,やるせない,寂しい気分になってしまいます.


今日も参って頂いた多くの方から,「寂しくなりますね」という言葉を掛けて頂きました.でもいちばん寂しい思いをしてきたのは祖母なんです.その祖母の失い続ける人生も,今ようやく終わりました.桜の散る季節に,55年暮らしたこの家の畳の上で,最後を迎えることができたのは本当に良かったなと,そう思います.


これから火葬場に向けて出棺させてもらうんですが,祖母を見送るときにはどうか皆さん,心の中で結構ですから「幸枝さん,良かったね」とヒトコト唱えてやってください.本気でホレた夫と,大好な息子に,やっと会いに行けるんですから.


皆さん今日は本当に,ありがとうございました.