ムカシナツカシ,デモハズカシ

今週,理学部から編入していたM1の学生がゼミをしたんだが,コレが良かった.ゼミ本番の三日前から夜な夜なずっとPCに向かって一所懸命やってたもんね.他の学生の理解が曖昧そーな用語なんかも,キッチリ資料を準備して説明してたし,ワタクシにとっても初めて知る情報があったりしたし,多分彼に対する周囲の評価はイッキに上がったコトであろう.


で,大学四年のときに,ワタクシがこの研究室に配属されて初めてゼミをやったときのコトを思い出す.あの頃のワタクシは「オレはオレは」な性格で,とにかく自分を周囲に認めさせるコトが全てだった.で,「コレが新入生のゼミだなんて信じらんない」くらいのスゲーのをやってやろーと思ったんである.あー,ちっこいワタクシ.


で,自分が選んだテーマに関連する文献を片っ端から読み漁り,周到な準備を重ねて臨んだワケだが,コレがまあ何とゆーか,狙い通りの展開となったワケで,ソレまで「コイツ生意気だし,教官にはかわいがられてるけど,実際どーなの?」とゆー周囲の評価が,「優秀だけど,ナマイキ」へと変化したのであった.教官にも褒められて,当時のワタクシはソレで満足していたツモリだったのだけど.


若かったなーと思うけど,当時のワタクシのプライドの拠り所は,当に「優秀であること」だったのだ.だから他人を蹴落としてでも前に出ようとしたし,プレゼンとなればとにかく「自分の知識と能力を示す」コトを最優先にしていた.ソレはソレで聴き手の印象に残るものではあったんだろーけど,でも,今はそんな自分は全否定である.ナゼなら自己主張を優先したプレゼンは,自分のチカラを見せ付けようとする余り,余計な情報まで詰め込んでしまうからである.コレは聴き手にとって混乱の元になる.結果として,「今のプレゼン,よくは理解できなかったが,とりあえず凄いのは分かった」で終わってしまう.


当たり前だが,最も優れたプレゼンテーションは聴き手が理解しやすいプレゼンテーションである.「聞いてて面白かった」「聞いて得した」と思えるプレゼンがデキるヒトは,結果的に「自己アピール」を目指したプレゼンをするヒトよりも印象に残る.


ああ,本当に情けない過去のワタクシ.自分を保つのに必死で,他人を見下して,だから孤独で.優秀な研究者として名を成す以外に幸福への道はないと思ってた.


研究も人間関係も,自然体の方がうまくいく.何かに拘らないほうが上手くいく.今はそう思っている.