読破

道元入門-生の充実を求めるために (講談社現代新書)

道元入門-生の充実を求めるために (講談社現代新書)

ちょっと読んでてまどろっこしかったかなぁ.それでも基本は良く分かる.更に個人的な解釈を加えると,道元の「悟り」は著しく動的だ.普通「悟りの境地」なんていうと,凄く静的なイメージがある気がするけど,道元のそれは違う.悟るために修行するんじゃないのね.悟りは本来人が生まれついて持っているもので,修行は悟りを保つためのもの・・・というよりは,修行することこそが,悟りそのもの.
動的ってどういうことかというと,例えば,物質でいうところの結晶構造みたいに,要素が秩序正しく配置された構造を作っているのは「静的」な秩序.ところがお風呂の排水口から流れる水が作り出す「渦」なんかは,水が動き続けることによって初めて生まれる秩序なワケで,それが「動的」な秩序.つまり道元の悟りは,修行して,悟りを開いてハイ終わり.ってんじゃなくて,修行し続けていないと悟りの状態はスグに崩れてしまう,そういうことだと考えていい気がする.


さて,金曜のエントリーでワタクシは「死から学んだ」という側面と,「当たり前のことに気付いていない愚か者」という側面を取り出して,ワタクシの輪郭を描いた.だがこの輪郭はすぐに放棄されねばならない.なぜなら,この輪郭はワタクシのたった二つの側面しか描いていないからである.境界線を引いては消し,消しては引きなおす.それを続けている間だけ,ワタクシはワタクシたり得るのだろう.