その65 ロマンチックだけどリスキー

ある種の典型的なパターンについて考えてみる.
例えば仕事が出来て,いざってときも頼りになって周囲から尊敬され信頼されているような人間が,恋人にはベタベタに甘えたがる,というような.


周囲から見る限り,その人は「強い人」である.仕事にたいする不満やストレスなど,他人には微塵も見せない.本人も,そのように見られることを誇りにしている.しかし,不満やストレスを人に「見せない」ということは,実際にはそれらを感じている,ということである.大きな取引相手との交渉前には緊張して弱気にもなるし,失敗して損害を出してしまったときには逃げ出したくもなるであろう.しかし「強い人間」であるためには,それらは「外に出してはならないもの」である.このようにして,「他人には見せられない弱さ」ができる.そして,「こんなにも沢山の苦労に耐え忍びながら,こんなにも頑張っている私」が描かれる.しかし自分で描いた自画像は,自分以外の誰かに語られることによってしか成り立つことができない.だからと言って,それを普段周囲にいる人間に向かって語れば,「強さ」を見せなければならない相手に向かって「弱さ」を見せるという矛盾に陥る.必然的に,自分の弱さを見せられる人間は「特別な人」ということになり,「特別な人」を失うことは,自画像を失うことになる.


・・・というわけだが,果たしてこの人は,強くなけらばならなかったのであろうか.彼(彼女)は,強くあるために,周囲に自分の心を語らない.つまり周囲には近寄り難い雰囲気を漂わせるために,強さと引き換えに孤独を感じることだろう.そして孤独に耐えていることをもまた自分の美徳の一つとして数え上げることであろう.
しかし,彼(彼女)が取引相手との交渉前に不安を口にしたら,他の社員は彼(彼女)に対する評価を下げるであろうか.失敗して凹んでいたら,みんな彼(彼女)を相手にしなくなるのであろうか.馬鹿にするであろうか.


実際はその逆で,不安や弱気を正直に表現することは,親しみやすさを生むのである.


人には話せない秘密とか,見られたくない弱さとか,そういったものの殆どは,実は単に「それが他人に知れると,彼らの中での自分の価値が下がる」と思い込んでいるものに過ぎない.装飾を剥ぎ取った言い方をするならば,カッコツケたいだけなのだ.だから「カッコツケたい」「他人に良く見られたい(悪く見られたくない)」という我欲が消えれば,人に言えない秘密や弱さも同時に消滅する.


「信用できる人間が一人しかいない」というリスクを避けるには,「気兼ねなく話せる友人や仲間を多く作る」ことである.その友人や仲間を増やす方法は,心に壁を作らないことである.他人に言えない秘密や弱さを作らないことである.心の壁を壊すには,カッコツケたいという我欲を消し去ることである.カッコツケないようにするには,身近に一人はいるであろう,自分のカッコ悪い部分をネタにして笑いを誘う人のことを思い起こすことだ.


・・・今日はここまでで切ることにしよう.