金曜日

今日は一日お休みをもらってお買い物。嫁が誕生日プレゼントを買ってくれる約束だったのだ。しかし、昨日から花粉症が本当に酷くて、立ち上がると足下がヨロつくほどだ。薬を飲んで少し落ち着くのを待ってから出かける。東京新丸の内ビルの4階に入っているカンペール。長いこと気に入って履いていた靴が、もうさすがにボロボロになってしまったので、買い換えることにしたのだ。僕、嫁、店員のお姉さんの3人であれこれ試し履きをしながら相談した結果、コレに決定。シンプルだけどカッコイイじゃない?聞けば、カンペールと外部デザイナーとのコラボ作品だとか。

あと、カードケースやボールペンがオシャレ過ぎていつも見てしまうACMEの売り場で、理系な時計を見つけてしまい、衝動買い。Made in Chinaとか書いてあるからすぐ壊れるかも知れんけど。

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伯父の告別式、昨日の続き。

告別式でも、伯父が務めていた企業の社長や友人代表の別れの挨拶を聞きながら、知らないことばかりだ、と思った。伯父が当時としては珍しい社会人ドクターを取得したこと、理系の技術者でありながら文学にも造詣が深かったこと、音楽はフルートだけじゃなくて、コーラスもやったいたこと、日常的にテニスをしていたこと…全然知らなかった。僕は本当に、伯父のことを何も知らなかったのだと思った。

不意に、当たり前の事実に思い当たった。僕の父と母が出会ったは、母が、大学時代の父の同期の妹だったからだ。その父の同期というのは、つまり伯父のことだ。もしも伯父が、京都大学吉田寮で僕の父親と相部屋になっていなかったら、父と母が出会うこともなく、僕がこの世に生を受けることもなかったってことじゃないか。僕が生まれたのは伯父のおかげ、と言うのは言い過ぎかもしれないけど、父と伯父という縁があったから、今僕はここにいるんだというのは間違いない。

失敗した、と思った。どうして僕は今までその当たり前の事実を気にも留めなかったのだろう。東京の郊外に伯父がいることは認識していたけど、所詮は遠くの親戚で、だから僕の人生にはほとんど関わりのない存在だと思っていた。でも本当は、僕の人生どころか誕生そのものに関わってる人だったんじゃないか。そして伯父と面と向かって話をする機会さえあれば、きっと色んな話題に花を咲かせることが出来たんじゃないか。それこそ、音楽や文学や芸術やテニスの話なんかで。僕にとって、伯父は父の代わりに知識や教養を教えてくれる存在になったかも知れないし、伯父は僕の中に早逝した同期の面影を見つけてくれるようなことになったかも知れない…。でも、そういう人生の可能性は、伯父の命の火とともに。もう完全に失われてしまったのだ。

後悔した。ごめん、伯父さん。ありがとう、伯父さん。棺に横たわった伯父に花を添えながら、何度も心の中でそう唱えているうちに、涙が溢れてきた。今まで誰かの葬式で泣いたことなんかなかったのに。親父の葬式でさえ涙を流さなかったのに。今回ばかりは涙を堪えきれなかった。

責めてもう少し、伯父さんのことを語れるようにならないとね。もうあなたから直接聞くことはできないけれど、とりあえずは母からあなたの話を聞いてみることにするよ。今は、安らかに眠れ。