金曜日

今日は職場の若手飲み会。研究者は39までは若手だな。若手対象の研究予算に申請できるし(笑)

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続きの続き。

ではこれから、僕はどうすればいいのだろうか。

Damon Lischが言ってた言葉を思い出す。
曰く、「Great scientists are ass holes, but really great scientists are really, really nice persons.」と。

その言葉が100%正しいとは思えない。ニュートンエジソンは超偉大だけど、恐らく相当の糞野郎だったはずだし。でも少なくともこの言葉を聞いた時、僕は少なくともその言葉の後半部分に当てはまるような研究者になりたいな、と漠然と思ったのだった。そしてその後半部分に当てはまる実例が、僕の中ではSusan McCouchだったりする。彼女は業績も素晴らしいけど、話し掛けられれば誰が相手でも足を止め、相手の目を見てその言葉に耳を傾け、物凄く誠実に応答する。マジで彼女には感銘を受けた。

でも、人に対する好き嫌いの差が激しい方の僕にとって、McCouchの路線を目指すのは無理だろう。僕のことを非難したり、僕に敵対してくる人のことを笑って許すような器は、多分僕には備わっていない。そりゃ年齢とともに丸くなっていくこともあるかも知れないけど、今の時点でそれを期待するのは楽観的過ぎる気がする。

いや、そもそもそんな人格者になる必要なんてないだろう。気に入らないヤツには近付かなくていいし、敵対する相手とはガチで競合してやればいい。少なくとも、喩え気に入らないヤツや敵対する人間に対しても、その能力だけは正当に評価できる人間になれればいいのだ。

…そんなことができるのか?…できると信じる。人間、自分の感情を変えることは出来ないけれど、感情に逆らって理性を働かせる、ということならできるはずだから。そして僕は、人間なのだから。

もちろん、簡単なことではない。でも、例えば10年後の、なりたい自分の姿をちょっと想像してみる。嫁に向かって「これ、僕がめっちゃ嫌いなヤツが書いてる申請書なんやけどさぁ、、、悔しいけどよく書けてるのよな。。。これ通したら3年間はコイツと付き合わんならんねんけどなー…我慢するしかないか」と愚痴りながら審査をしてる自分とか。面接会場で若い研究者に向かって「正直に言うと、君の性格は気に入らない。でも、君の能力はこれからのこの世界には必要なものやと思う。だから私は君のプロジェクトを応援しようと思う」とか言っちゃってる自分とか。そんなことを考えてたら楽しくなってきた(笑)。

そういう人になれたら、niceとは言えないかも知れないけど、でも、十分カッコイイんじゃね?

よし、あとはゲームみたいなもんだ。目標を決めて、それをクリアするまで努力する。目標の中身は、人からこんな風に思ってもらえるようになることだ。

「あの人は好きな人のことは好きだと言うし、嫌いな人のことも嫌いだと言う。あの人を侮辱した相手のことやそのときの言葉をいつまでも憶えてる(笑)。でも、好き嫌いに関係なく、あの人に能力があると言われた人は、本当に能力がある」と。