先週は怒涛の締切ラッシュを乗り越え、息つく間もなくパーマネントの最終面接。

飽くまでも一般公募ゆえに絶対はなかったわけで、だから多少は緊張した。下馬評も百人中百人が例外なく「内藤さんは心配ないね」と言ってくれていたわけだけど、人が落とし穴に嵌るのはそういう時だったりするので、書類も面接も一切手抜きはせず、大マジで挑みました。

結果としては満場一致で採用を決めてもらえたらしく、お陰様で若手研究者の生存競争に勝ち残ることができたようだ。博士取得後、ポスドク→任期付研究員と順調に階段を上がってこれたわけだけど、それでも学部を卒業してから既に14年であることを考えれば長い道のりだったなあと思う。

しかしこれで遂に、正式にPrincipal Investigatorとして振る舞うことが許されるわけである。連携大学院の教員として学生を受け容れることもできるようになるわけで、やはりポジションが上になればそれだけ出来ることの幅は広がる。もちろん、前線からはそれだけ遠ざかって行くわけだけど、僕は最初からそうなりたかったわけだしね。むしろ日本の研究者には、ポジションの変化に適応し切れない研究者が多過ぎると思うくらいだ。実験や解析を全部自分でやろうとしてたら、そりゃ研究できる時間がどんどん減っていくと感じるんだろうな。

僕の仕事はこれから益々「夢を語り、予算を獲り、時々部下にプレッシャーを掛け、論文と報告書を書く」というものいなっていくのだろう。(ちなみに「プレッシャー」ということについて、先日非常に面白い議論をする機会があったのでそれについてはまた日を改めて書きたい。)

しかし嫁が京大の講師に出世し、僕は僕でつくばでパーマネントをゲットし、という感じで益々お互い離れた場所にネを張ることになってしまった。まあ僕と嫁は「お互いまずは自分の好きなことを」と決めているので良いとしても、どちらの親もこんな僕らの状況に文句一つ言わずにいてくれるのは有難いことだと思う。僕のお袋は嫁の講師着任を喜び、義母もまた僕の知らせを聞いてすぐに祝いの電話をくれた。4人が4人共離れて暮らしている僕らだけど、こんな家族も一つのあり方としていいんじゃないか、と思ったのである。