木曜日

最近、嬉しいことがあったので書き留めておこう。悪いけど自慢話になる。

先日、共同研究者のもとにプロジェクトの評価者からメールで質問がきたらしい。
「内藤さん、すみませんが回答の文案を作ってもらえませんか」
と言われたので見てみると、簡単に答えられそうな質問である。サラサラと書いて返信したら、共同研究者に驚かれたのである。

「あまりに的確な回答にちょっと感動しました(笑)。プレゼンや会議での質疑応答を聞いてていつも思いますが、内藤さん質問への受け答えがすごく上手ですよね。質問から相手の理解度を瞬時に察知した上で、理解してもらえるような言葉とか言い回しを選んで答えている、みたいな。」

何か嬉しかったのである。「普段考えてる範囲内でなら自信ありますよ(笑)。さきがけの領域会議とかじゃ厳しい質問も飛んでくるんで、時々シドロモドロになってますけど(苦笑)」と返したら、

「そうそう、その普段考えている範囲の広さも全然違うなと感じてます。しどろもどろな内藤さんも見てみたいですけどね(笑)」

おお、もしかして2つも褒められてしまったのかこれは。益々嬉しいじゃないか。

「さすがですね」とか「やるね」とか、そういう褒められ方でも悪い気はしないんだけど、やっぱりこんな風に具体的に褒められたときのテンションの上がり方って半端ないよね。それも、普段そうありたいと思い、そう出来るようになろうと努力している点であれば尚更だ。(自分も誰かを褒めるときにはそうやって褒めないとね)

人との対話においてこうありたいと思っているのは、ブッダの対機説法だ。ブッダが出会う人々の性格や能力、素質に応じて、その人の問題が解決するように的確に教えを説いたこと指して言うらしい。仏教に関する本でこれを読んだときに「これこそコミュニケーションの根本じゃね?」と思ったんだよね。

ただ、ブッダは教えてあげるという立場に立てたのに対して、僕らは飽くまでも「理解してもらう」という低い立場にいるところが違う。人はそんなに僕らの話を有難がって聞いてはくれない。でも分かってくれる人が増えれば、それだけ僕らの味方も増える。

だから、研究者のみんなで対機説法を会得しようず(鎌倉武士風味)