広開土王の功績で全盛期を迎えた高句麗だったが,六世紀に入ると内乱などによりその勢力を失い始める.逆にこの時期に急速に力をつけたのは新羅で,それまでの高句麗の属国としての姿勢を転じ,百済と結んで対抗し始めるようになる.更に新羅は五世紀半ばには百済と対戦して勝利を収め,三国分立を決定付けた.
589年に隋が中国を統一すると,高句麗は一気にピンチを迎える.ソレまで中国は基本的に北朝南朝が対立し,朝鮮半島まで構う余裕がなかったのだが,統一を終えた隋の矛先は,次に高句麗に向かったわけである.が,隋の三度に渡る遠征を高句麗は全て退け,結局遠征による疲弊と内乱によって隋は滅び,代わって618年には唐が中国を統一する.
この時代になると成長著しい新羅に対して高句麗百済が手を結び,新羅は孤立した状態となる.そこで新羅は唐に救援を要請するが,これは結局中国の直接介入を招く結果となり,三国の争いは泥沼化するのであった.…続く.