其の一「相手の気持ちを考えろよ!」

同類に「他人の気持ちを考えて云々…」なんてのもあるけれど、ホントにこのテのコトバは聞いた瞬間に溜息を漏らしてしまいそーになる。他人のキモチなんて、考え出したらトンデモナイことになるってコトを知らないのだろーか。


今、スーダンの難民キャンプで飢えと渇きのせいでまさに死のうとしている子供のキモチ。ソレをただ黙って見ているしか親のキモチ。連続殺人犯に娘を殺された親のキモチ。逆にその殺人犯の親のキモチ…まあチョット極端すぎるかな。


暴走族に夜の安眠をジャマされるシト達にとって、暴走族は「ヒトのコトを考えない奴等」だけれど、じゃあその暴走族はケシカラン、と怒っているシト達に向かって「まあ彼らも普段イヤなコトがあるんだろーし、その鬱憤を晴らすコトもヒツヨーだろーからウンヌンカンヌン」なーんて言ってみたらどーなるんかな。でも本当にヒトのキモチってのが「考えなきゃイケナイ」ものだとしたら、キョーアク犯罪人やらナンやらカンやらと、ソレこそあらゆる立場のシトのキモチを考えなきゃイケナイハズだよね?でもソレについてハッキリ言えるコトといえば、どんなに考えたって「他人のキモチはほとんどワカラナイ」ってコトと、他人のキモチなんか考えなくたって生きていけるってコトなんだよネ。


しっかし、「相手の気持ちを考えろよ!」とゆーコトバをアッサリと言ってしまえるよーなシトは、「他人のキモチを考える」とゆーコトに対して何のウタガイも抱いていない。そもそも彼らが言うトコロの「他人」とゆーのはヒジョーに狭い範囲に限定されている。漠然とした言い方になってしまうがソレは、自分たちが属している集団や共同体における「多数派」なんである。そして「他人の気持ちを考えろよ!」とゆーのは、「オレら多数派の言うことに従わないとオマエ生きてイケナイぞ!!」とゆー脅しと、ほぼ同義である。更にツッコミを入れれば、自分たちの価値観から逸脱した人間に向かっては「オレらのコトを考えろ!」と言い、同時にそーいった少数派の立場やキモチについてはマッタク考えナイ、とゆー理不尽で傲慢な態度だと言うコトがデキる。更に更に更に、「他人のキモチを考えろよ!」なんて台詞は自分自身のコトを「他人の気持ちが分かる人間」と信じてなければ吐けナイものである。ヒトのキモチが分かる人間なんて世の中には数えるホドしかいないのに、自分がその中のヒトリだと信じて疑わない。ああ、そんなワケないじゃナイ。現に今アナタはワタクシのキモチを考えていないでしょう?アナタが今ワタクシに向かって言った台詞はよーするに「オレの気持ちを考えろ!」ってコトですよ。そしてアナタのキモチなんか考えなくたって、ワタクシは全然生きていけるってコト、気づいてもらえませんかねえ?…なんて反論はするだけムダなので黙って聞くけどさ。


「他人の気持ちを考えろよ!」


言われる度に、とゆーか居酒屋の隣の席から聞こえてくるダケでも、やれやれ…と萎えてしまうワタクシである。ナエナエ。