水曜日

今月の苦労は今日で一段落。提出はパートナーにお任せしとこう、と思ってたんだけど、午前10時頃に部屋の電話が鳴る。

「内藤さん、すみません。共同研究者の研究者番号が必要だったみたいで。。。しかも締切が正午までだったことに今気づきました。」

えっ、あと2時間ですか?

今回は我々以外に2つの研究機関を交えた共同研究プロジェクトなので、各チームごとの代表者の研究者番号が必要なのだ。書類に書くとこなかったから大丈夫だろうと思ってたけど、申請登録に必要だったのか…!もー、だからeradへの情報登録は早めに済ましといてくださいねって言ったでしょ僕。

とりあえず1人はKAKENデータベースから見つけ出すことができた。問題はもう1人。ネットじゃ見つからん。メールを送っても返信がない。研究室の電話番号を探し出して掛けてみても繋がらない。締切時間まであと50分。マズいぞ大ピンチだ。

誰か彼の研究者番号を知ってる人はいないだろうか。

はっ、と思いつく。彼も、僕と同じ領域のさきがけに採用されている。ということは、彼の研究者番号が書き込まれた申請書が、JSTの事務所にあるはずだ。よし、JSTの僕らの担当参事さんに電話だ。

もしもし、〇〇さんですか?生物研の内藤ですこんにちは。大変つかぬことをお伺いしたいのですが、××くんの研究者番号を教えて頂けませんか。実はかくかくしかじかで大変困っておりまして。

参事さんは苦笑しながらも「よく思い付いたねえ〜。ちょっと待っててね。問題ないかどうか確認してから折り返し連絡します。」

5分後。

「キミは本当にいい勘をしてるねえ。メモの準備はいいかい?・・・」

というわけで、無事提出できたのでした。
よかった、よかった。

火曜日

今月は戦いだった。とりあえず明日提出すればこの戦いは終わる。それにしても今回は結構制約の多い研究予算だったなぁ。。。それに合わせて言葉を選ぶのも大変だった。通ればいいけど。。。どこかもう一声足りないという気はする。壮大な構想であると言い切る自信はあるけど。

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史記 武帝紀 1 (時代小説文庫)

史記 武帝紀 1 (時代小説文庫)

最近ずっとハマッてた。全7巻というかなりの長編。漢の第7代帝、武帝の物語。60年という長い治世の間に匈奴を打ち払い、黄河の治水を成し遂げ、西は大宛、南は越南、東は朝鮮まで外征し、前漢王朝では最大の版図を築いた。粘り強く人を選び、試し、育て、大きな成果を挙げさせる壮年期の姿は只管にカッコ良かった。

しかし治世の後半には、強大な権力を徒に振るうだけの暴君になってしまう。諌める者は遠ざけられ、周囲には阿る者ばかり。全てが思いのままになってしまい、気に入らないことは臣下に責任を取らせて殺してしまう。しかしその裏にある、全てが労せず手に入ってしまうがゆえの、孤独。

正直、武帝は退廃したまま絶望の中で死んでいくのかと憂鬱な気分で読み進めていたのだけど、どうしてなかなか、感動しまくりのクライマックスだった。側近中の側近とも言える、桑弘洋の最期は涙なしには読めない。史実では、武帝の死後間もなくして桑弘洋は反乱を主導しているのだけど、その理由をこんな風に解釈した作者に僕は拍手を送りたい。

衛青、霍去病、桑弘洋、李広、李陵、蘇武、霍光、そして司馬遷。特に晩年の司馬遷が吐くセリフの一つ一つは心に沁みた。

武帝に追い詰められた後、力を蓄えて反撃に出た匈奴の描かれ方も熱かった。

面白かった。三国志もメチャクチャ面白かったけど、これも大変面白かった。

月曜日

先月の終わりのこと。科研費の審査結果が開示されました、という通知が来たのでいそいそとチェックしてみる。残念ながら落とされてしまったわけだけど、採択された人たちと比べて、何が足りなかったのだろうかと。今回のだって、結構自信あったしね。

科研費申請サイトにログインし、審査結果ボタンをクリックすると、採点表が表示される。

幾つか評価項目があって、表の左側に自分の評点、右側に、同じ細目で採択された人の平均点が書かれている。生産環境農学の遺伝育種遺伝科学の若手Aに応募件数が7件で、採択されたのが2件だから、この2件の平均点が表示されてるわけだね。うん。どれどれ…

叫んでしまった。

6項目中5項目で、僕の点数の方が採択者平均点より高い。ちょっと高いとかじゃなくて、大幅に高い。残りの1項目だって悪くない点数である。なぬーーーーー

結局、さきがけ持ったまんま科研の若手Aなんて出してしまったのが良くなかったんだろうか。そりゃま、若手Aをもらいながらさきがけをもらうのは認めてもらえたけど、その逆は難しいかもとは思ってたけどね。

とりあえず、少なくとも審査員のほぼ全員が、僕がやろうとしていることの重要性もインパクトも普遍性も高いと評価してくれたというのが分かったことは、良かった。

でもさー、お金取れなかったら実行出来ないんだよね、その重要でインパクトがあって普遍的な研究テーマをさ。

お金取って人を雇って、展開したいと思っている研究をゴリゴリ進めるつもりなら、もう若手枠の研究費よりも、一般枠で狙った方がいいってことかしら。それはそれでまたハードル上がってしまうなぁ。。。やれやれ。

金曜日

久々の更新。今月末が締切だと思っていた申請書だけど、実は今週水曜日までに形になっていなければならないことが発覚して死にそうになってた。ほんと久しぶりに精神的に追い詰められた。

今更だけど、GWは有給も重ねて、1日、2日、3日と山口県下関まで行ってきた。1日は僕が始発電車でつくばを出て、午前9時位には京都で嫁と合流する予定だった。

寝坊した。

敢無く現地集合ということに。とほほ。

旅行の予定を決めた時に、嫁に「始発で大丈夫?朝早いで?」と念を押されて「心配ない!」と胸を張ってた僕。。。情けなさ倍増。平謝り。

嫁に遅れること約1時間、僕も下関に到着。食い逃げ防止のためか、店の裏から調理場を通って入るという迷路みたいな店で海鮮丼を食い、レンタカーを借り、秋吉台へ。秋芳洞はデカかったけど、神秘性なら岩手の龍泉洞かなぁ。素晴らしかったのは秋芳洞より秋吉台。カルスト地形とかいって教科書に載ってた写真しか見たことなかったけど、草原ではなく、岩山でもないという不思議な原っぱが広がる光景には心を奪われた。

下関に戻ってホテルにチェックインを済ませた後、晩御飯は天ぷら。嫁の後輩が下関出身で、「下関なら絶対この天ぷら屋さんに行ってください!!」と強く勧められたということだったので、行ってみることにしたわけだ。そしたら、これが。

うまかった。

信じられないくらいうまかった。大将も相当腕に自信があるらしく、カウンターに座った僕らが旅行者だと分かると「ウチの天麩羅食ったら、天麩羅の概念が変わるよ。素材の味がダイレクトに伝わってくるから」とか言い切っちゃうしね。でも、本当に伝わってきたよ、素材の味が!!ジャガイモの天麩羅を一口齧ったときなんか、驚きのあまりひっくり返りそうになった。ジャガイモってこんな味すんの!?と。どれもこれも本当に美味しかったので、次の日の晩御飯も来ちゃいました。天ぷら屋「気吹寄(いぶき)」。

二日目は朝から車で角島へ。しかし寄り道はしたい。とくに地方では重要文化財なのに無造作に置かれていたりすることもあるしね。。。と思って探してみたら、やっぱりあった。安養寺の厚母大仏。期待通り他に誰もいない。というか住職もいなかった。受付もなく、拝観料も取ってなかった。しかし、曹洞宗の寺なのに阿弥陀如来が本尊とは。すぐ隣に浄土真宗の寺があったにもかかわらず。

あと、川棚のクスの森、という名のクスノキの巨木を見た。デカかった。マジでデカかった。

そして角島へ。ここは、結婚前の、僕がまだアメリカにいたときから嫁が「ここ行ってみたいねん」と言ってた場所だったのだけど、ようやくそれが叶いました。ここの海はほんとキレイだったわ。気になる人は角島で画像検索をしたまえ。

その後さらに「東後畑の棚田」という、ワリと有名らしい棚田を経て、千畳敷まで足を伸ばして帰ってくる。

3日目は壇ノ浦で滅んだ平家を祀る赤間神宮へ。その赤間神宮では偶然にも先帝祭が行われていた。おかげで凄い人だったのだけど、厳かに行われる儀式もいいよねえ。笙の音色とか初めて生で聞いたけど、熟練した人が吹いていたせいなのか、大変心地よかった。今思えば、動画撮っとくんだったな。。。

その後壇ノ浦を高速船で渡って門司港へ。荒れた海をぶっ飛ばす感じで、甲板席だと飛沫がバシャバシャ飛んで来た。嫁はジェットコースターみたいだと大はしゃぎだったが、僕はメガネに潮が掛かってゲンナリだった。

門司港ではいわゆるB級グルメ的な瓦そばを食ってみたんだけど、イマイチ過ぎてがっかりした。悔しかったのでそのままツイッターが教えてくれた焼きカレーを食ってみたら、こっちはうまかった。あと、「ガラスのため息」という名のアクセサリー屋さんで、嫁にピアスを、嫁の母上に母の日の贈り物としてネックレスを買って、旅はおしまい。新幹線で京都に帰った。

それにしても、山口は一度や二度の旅行では全然回りきれないほど見どころのある県だと思った。意外と広いし。今度は萩や長府にも行ってみたいもんだ。

日曜日

4月が終わろうとしている。色々手間取ったり進んだりトラブったり、そしてやはり想定外の事態が出てきたり。お目出度くも構想が完全に期待を裏切られてしまった事態もあり。あー、今年のメインの実験の一つが立ち消えの危機だわ、、、構想は完璧なのに。何とかフォローアップを考えなくては。場合によっては自らタイに飛ばねばならんかったりして。

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先週の水曜日、新センター長や異動で移ってきた人たちを迎える歓迎会。なぜか理事も来てて、新センター長、理事、僕と3人で結構長いこと喋ってる時間もあって、僕の頭のなかのジーンバンク構想について熱く語ってみた。自分が遺伝資源に語る姿なんて、4年前の自分には想像もできなかったけど、遺伝資源を扱ってるところに4年も働いてればその重要さも分かるし、進むべき方向性だって考えるよね、そりゃ。

で、コース料理に出てきた何か(恐らく牛刺)に中ったわけだ。

その食中りの身体を引き摺って木曜は東大の院生に向かって講義。毎回外部講師が招かれるリレー講義の第一回目を任せてもらえたわけだ。第一回目ってこともあって学生も多かったけど、通知ポスターを見て来てくれた人も結構いたみたい。笑いあり涙ありで、講義としてはかなり面白い部類に入ったという自信はあるけど、それでも4名の学生を眠りの中へ沈没させてしまった。最大の反省は、自分の研究をアピールしようという意識が強すぎたことかな。講義ってのは本来学生のために行われるものであるのに、「あわよくば将来ウチで働いてくれる人を」という下心があったことは否めない。中身を半分くらいに絞って、もっと学生とボケたり突っ込んだりしながら進めるようなのを考えておいた方がよかったかな。元塾講師なんだしね、僕。

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まーとにかく5月は書類執筆だ。これが最優先。

火曜日

今年は去年と違って4月に2度も海外行ったりしないからそこまで忙しくないはず、と思ってたけど甘かった。結構消耗しとるでよ。一部とはいえ解析を自分でやらざるを得なくなっている状況が重い。。。早く結果を知りたいのだけど。。。重い。。。といって、楽して生きたいとか思ってるわけでもないのだけど。

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一昨日の日曜に、7月に予定しているそれなりに大きなイベントのたの打合せ。昼飯を食いながら本題を脇において研究の話をしていたら、画期的かもしれない手法を思い付く。簡単なことなのだけど、多分まだ誰もやってない。いや、既に誰かが同じことを考えて実行している可能性はあるが、まあそんなことはどうでもよろしい。別にその手法を最初に使った論文を書きたいわけではないので。要は、到達可能点が今より伸びるかどうかだし。

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金曜におかんが生物研に来た。僕とおかんが並んでいるのを見て、皆、口々に言う。
「似てる!」と。

残念ながら今年は工事中とかでジーンバンクを存分に見せられなかったので、また来年来いと言っておいた。なぜか昼食はおかんの友達に御馳走になった。

このおかんの友達ってのが、つくば市にある某研究所理事長の奥様だってんだから、人のつながりというのは辿っていくととんでもない人に行き当たったりするもんである。

金曜日

どーーーーーーしても上手くいかなかった解析の問題点が分かった気がする。何という単純なミス。。。原因も自分なら1ヶ月以上それに気付けなかったのも自分。嗚呼。

多少の自己嫌悪は感じるが、それでもこれで前進すると思うと気が楽になる。というかこの解析作業は結構重荷になり掛けていたので、そこから解放されるのだからホントに一安心である。

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さて、先週末は嫁の誕生日ってことで京都に帰っていたのである。何が欲しいと聞けば財布と言う。それも、長財布が主流となっているイマドキに二つ折りタイプをと。あちこち回ってもなかなかコレ!というのが見つからなかったのだが、Emilio Pucciで見つけてしまった。予定していた金額の2倍を超えていたが、まあいいんじゃね、ということで購入。ドレスも試着させて遊んでみるのは凄く楽しかったのだが、15万円とか17万円とかじゃさすがに買うかどうか検討することも出来なかったわ。

日曜はお袋も滋賀に帰っていたので、弟夫婦と姪も一緒に滋賀の生家に集合。空き家になってしまっているだけあって、見る度にボロボロになっていく。天井裏にはハクビシンが住みついてしまったらしく、あちこちに変なシミもついてるし。。。まあ仕方ないが。

昼は伯母も加わって、7人で草津にある「あたか飯店」へ。かなり昔からある、ラブホみたいな佇まいの中華料理屋がなんだが、ビックリするほど美味いんだなここが。京都や東京に店を構える高級中華料理店なんかより余程美味かったりする(無論、本当に値が張るお店は除く)んだけど、こんなに腕のいい料理人が、どうして滋賀の、それも草津なんかに留まってるのだろう。。。不思議だ。

夜はダ・ユウキのピザをテイクアウトして弟夫婦と一緒に食った。親戚の店なのに弟たちは行ったことなかったんだよね。勿体無い。で、一口齧るなり目を丸くして「ウマっ!」「おいし〜!」と叫んでた。やろー? ほんまに美味いやろ、ここのピザ。時間があるなら絶対行くべきやで。

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ダ・ユウキでテイクアウトのピザを受け取るときに店長さんとと少し話をした。店長が「この間つくばのアミーチの店長さんが来てくれはって、関係ができたんですよ」と言うので「あ、僕もそこ時々行きますよ。けどまあやっぱり、同じピザでもここのピザは次元が違いますから(笑)。今日も美味しく頂きますね!」と答えておいた(笑)。だってマジで美味いんだもん。身内びいきとかじゃなく!